事件

【実話】タイタニック号沈没事件の日本人生存者の人生が壮絶過ぎる…原因は人違いだった

1912年4月に起きた世界的に有名な海難事故とも知られる「タイタニック号沈没事件」

映画「タイタニック」のモデルともなり、当時最大の海難事故となりました。

そんな「タイタニック号沈没事件」ですが、日本人生存者がいたことでも有名です。

今回は「タイタニック号沈没事件」の日本人生存者の壮絶過ぎる人生について掘り下げていこと思います。

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タイタニック号沈没事件とは?

タイタニック号とは、当時世界最大の客船であり事故当時は2224人の乗員を乗せていました。

イギリス・サウサンプトンからアメリカ・ニューヨークの航海中に氷山に激突し、沈没

結果的に1513人(乗員の約70%)が亡くなりました。

事件の流れ

1912年4月14日

  • 氷山の警告(9時00分~23時29分)
  • 前方の氷山に衝突(23時38分46秒)

1912年4月15日

  • 船を捨てる準備(0時05分~0時45分)
  • 救命ボート乗船(0時45分~2時05分)
  • 沈没と最後の瞬間(2時15分~2時20分)

 

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タイタニック号沈没事件の日本人生存者の人生が壮絶過ぎる…

タイタニック号に乗っていた日本人生存者は誰?

事件当時にタイタニック号に乗っていた日本人は鉄道官僚である「細野正文(まさぶみ)」さんたった一人でした。

正文さんは、1912年(当時42歳)のタイタニック号沈没事件時に、鉄道院在外研究員としてタイタニック号に乗船します。

また、音楽家・細野晴臣(はるおみ)さんの祖父でもあります。

晴臣(はるおみ)さんは、小学校3年生くらいの頃に両親に映画「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」(1958年)見に連れて行かされた後に、父親から「タイタニックにおじいさんが乗っていた」ということを教えられ驚いたそうです。

タイタニック号沈没後、奇跡の生還

タイタニック号沈没事件時、正文さんは最も死亡率が高かった二等船室にいましたが、10号ボートに乗って奇跡の生還を果たしています。

救命時はボートを使って救助活動を行いましたが、船長の規則により救命ボートに乗れるのは女性・子供が優先で、正文さんは本来なら沈没と共に溺死している可能性の方が高い状態でした。

海水はマイナス2℃という温度で、海に浮いて助けを待つのは非常に困難な状況だったようです。

しかし、たまたま救命ボートにまだ人が乗れる余裕があったので、正文さんは自ら海に飛び降り、ボートに乗り込み無事生還を果たします。

ふと舷側を見ると今や最後のボート卸ろされるところで中には45人分の女子供が乗って居たが、スルスルと1ヤードか2ヤード程卸した。ところが何か滑車に故障があったと見えてピタリと止まった。ふと聞くともなしに聞くと『何にまだまだ3人位ゆっくり乗れるじゃないか』と船員同士の話声がした。私は立ち止った。すると私の側に居った一人の船員がヒラリとばかりにボートに飛び下りた。見るとボートは元の儘、舳のところが空いて誰も居ない。これなら飛込んでも誰れにも危害を与えまいと思ったので、いきなり飛び下りた。

出典:雑誌『冒険世界』(1912年7月号)

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原因は人違いだった

タイタニック号沈没事件時、無事に生還を果たした細野正文さんですが、そこから更なる試練が待ち受けていました。

沈没事件後、乗客のイギリス人男性の手記に「一人の日本人男性が乱暴に他人を押しのけ、無理やり救命艇に乗った。」というように書かれてあり、それが世の中に広まりました。

その後、正文さんは生涯「卑怯な生存者」と言われ続けることになります。

しかし、1997年の正文さんが亡くなってからしばらく経った後で、その乗客のイギリス人男性と一緒に乗っていたのは日本人の正文さんではなく、中国人男性と判明しました。

正文さんは九死に一生を得たものの、単なる人違いによって汚名を背負いながら生涯を過ごしたのでした。

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