2018年3月に滋賀県内の河川敷にて、バラバラに切り落とされた桐生しのぶさんの遺体が見つかった事件が話題になりました。
逮捕されたのは、被告人の長女・のぞみさんで、母・しのぶさんの首を包丁で刺殺した後に、のこぎりなどで切断し捨てたようです。
今回は桐生のぞみさんの壮絶すぎる生い立ちについて掘り下げていきたいと思います。
大学受験から就職までの壮絶な道のり
桐生のぞみさんは、母・しのぶさんの「娘を医師にしたい」という強い思いにより人生をめちゃくちゃにされてしまいました。
のぞみさんの大学受験から殺人事件を起こすまでの流れを見てみると、母・しのぶさんの考えの押し付けにより、随分遠回りの人生を歩んでしまったようです。
母・しのぶさんは娘・のぞみさんに対して「自宅から通学圏内の国公立大の医学部医学科に進学すること」「滋賀医科大学の受験を許可するも助産師になることを条件」など自分の意志を通したそうです。
2005年(18歳) 現役で国立大の医学部保健学科を受験 不合格
~9年間に渡る浪人生活~
2014年(27歳) 滋賀医科大学医学部看護学科 合格
2017年夏(30歳) 医大の付属病院から就職の内定 辞退するよう要求
2018年1月中旬(31歳) 助産師学校の試験 不合格
2018年1月19日(31歳) 母・しのぶさんを殺害
生い立ちが壮絶すぎる…
桐生のぞみさんは、大学受験から就職までだけではなく、幼少期からの成人するまでの生い立ちも壮絶だったようです。
(1)スパルタ教育
桐生のぞみさんは、幼少期から勉強法や箸の使い方などの礼儀作法を母・しのぶさんから厳しく教育されていたそうです。
普段、字を書くときも「汚い」「バカっぽい」などと責されながら教育されていたようで、事件後に検事からも字が綺麗だと褒められた程だといいます。
毎日、母とマンツーマンでスパルタ教育を受けていたと考えると、かなり辛かったのではないでしょうか。
(2)モラハラ
殺人事件直前ののぞみさんは、母・しのぶさんから猛烈なモラハラを受けていたようです。
のぞみ被告は医大の付属病院から就職の内定をもらった後に、就職手続きの期限が1週間後に迫っていたところ「(助産師ではなく)看護師になりたい」と母・しのぶさんに打ち明けます。
しかしながら、それと同時に助産師試験に不合格だったと決まったのぞみさんに対して「あんたが我を通して、私はまた不幸のどん底にたたき落とされた」といい一晩中怒鳴られたそうです。
そんな自己中心的な母に対して限界がきて、事件に至ったようです。
母を殺害すると決意するほどに、本人にとって言われてショックな一言だったのではないでしょうか。
(3)拘束生活
のぞみさんは、母・しのぶさんから浪人生活中にかなりきつい拘束生活を強いられたそうです。
プライベートの時間はギリギリまで削減され、まるで奴隷のような生活内容に驚愕してしまいます。
- 自由な時間を無くすために、母と一緒に入浴
- 携帯電話を取り上げられる
- 3回に渡り家出するものの、探偵・警察につかまり家に戻される
殺人事件までに至ったことはとても悲しいことですが、のぞみさんが送っていた拘束生活も精神状態がいつおかしくなっても不思議ではない悲惨なものです。
今回の記事のまとめ
今回は2018年3月に起きた桐生しのぶさんの殺害事件の被告人・桐生のぞみさんの壮絶な生い立ちについて調査していきました。
- 大学受験から就職まで9年間という長い浪人生活中、母・しのぶさんの意志によりのぞみさんは思い通りにならない葛藤の日々を過ごしていた。
- 殺人事件が起きたことは非常に残念なことだが、のぞみさんが母・しのぶさんから受けていたスパルタ教育・モラハラ・拘束生活は悲惨なものだった。